vol.48 2007年 9月 16日発行

日本民謡
聖和会(しょうわかい)
会主
川西 聖月(しょうげつ) さん

日本の心、
民謡を広めて22年
 先日9月2日(日)、日本民謡 聖和会が、いかるがホールに於いて第22回民謡まつりを盛大に開催。斑鳩を中心に活動を続けておられる会主の川西聖月さんの楽屋をお訪ねした。

斑鳩にこだわり、この地に発足

このたびは斑鳩町制60周年記念『第22回民謡まつり』のご盛会おめでとうございます。川西会主は22年前、日本民謡 聖和会を発足以来、正業はサラリーマンでありながら、毎晩各所での教室を走り回って来られたことを私はよく存じています。いろいろとご苦労があったのではないですか。

川西 苦労というものではありませんが、ほとんど休みはなく教室を回ってきたことは確かです。今、おかげさまで三味線教室も加えると、6つの支部で活動を行っています。

ほとんど斑鳩町内での活動ですね。

川西 はいそうです。私自身が斑鳩で生まれ育ちましたので、自身のふるさとであり、“日本のふるさと”ともいえる斑鳩にこだわって日本民謡 聖和会を発足しました。

会の名前をみても、そのことがうかがい知れます。

『聖徳太子の和の教え』をもって
川西 聖和会という名は当時の法隆寺管主・枡田秀山師が『聖徳太子の和の教え』のもと、という意味をもって命名してくださったものです。会員の皆さんと共にこの名前のもと、和の精神をもって日々、精進してきました。

日本独自の芸能である民謡ですが、最近は民謡人口というものは激変しているように思います。いかがでしょうか。

川西 本当にそのとおりです。発足当時の20年以上前は、テレビでも毎日のように民謡番組が放送されていました。例えば、あの当時、誰もがソーラン節や花笠音頭を耳にしたことがあったし、口ずさむことができました。それが今では、知らない若い人も多いのです。民謡人口が激変したのは確かです。

そのような中でも続けてこられた…。

川西 聖和会の会員の皆さんが本当に、私に良くついてきてくださったと感謝しています。

ほとんどの会員さんが発足当時からのお弟子さんですよね。

川西 はい。最高齢の方で90歳。元気な良い声を出されていますよ。民謡は誰もが楽しく学べる音楽です。ただ、正直、時間もかかるし、長年続けるにはお金もかかります。どのようなことでもそうだと思いますが、続けるということは大変なことです。
伝統文化として…
私も、この聖和会の活動を見つめ続けてきた一人として、ただの習い事、カルチャーではない、芸としての厳しさ持って、川西会主ご自身が指導してこられたということを感じています。

川西 民謡は伝統文化です。日本の心です。将来にもしっかり伝承していかなければならないもの。その使命を感じています。

民謡の世界に入られたきっかけはどのようなことだったのですか。

川西 父親や兄の影響です。実は私が本格的に民謡の世界で勉強をし始めたのは20歳の時でした(会社勤めをしながら…)。

身近な家族にそのルーツがあったのですね。
宴席で手拍子に合わせて…
川西 子どもの時、宴席といえば、われわれの時代、民謡が飛び出す時代です。親戚が集まって、酒が入れば、みんなで手をたたいて民謡を唄うのです。その時代から民謡は好きでした。

手拍子だけで唄う、いわゆるアカペラですよね。今ではそういう宴席も少なくなったように思います。

川西 本当にそうですね。今はカラオケですからね…。私はカラオケも大好きですが…(笑)。
日本固有の音楽の原点

民謡は山や川など自然を題材にしたものが多いですね。

川西 日々の生活の中に生まれた仕事唄なども多くあります。杜氏が伝えてきた唄もあれば、木こりの唄など…。奈良にも吉野川を下る筏の船頭たちから伝わってきた「吉野筏流し唄」などもありますよ。

その「吉野筏流し唄」は川西会主の持ち唄ですね。そういえば昭和57年頃でしたか、西日本チャンピオンになられたことがありましたね。奈良県代表として日本武道館の舞台にも二度立たれている。そういう実績も、こうして指導を続けてこられた自信につながっている。めまぐるしく移り変わる社会の中にあって、心の潤いや安らぎを与えてくれる民謡の良さを広めて来られてきているのですね。

川西 長年、活動を続けてくる中でいろいろな方々に助けていただいてきました。今回の民謡まつりでも日本舞踊の先生方や日本民謡推進協会の先生方など、各方面の皆様にご協力いただきました。とても意義深い民謡まつりだったと思っています。

これからも民謡の良さをあらためて多くの方々に知っていただけるよう、正に文化伝承の担い手としてご活躍いただけることをお祈りしております。


Vol.47