VOL.23

養鯉業  中野 重治 さん
一年に一度の
チャンスにかけて

 大和郡山市はキンギョの養殖地として全国的にもよく知られている街。この街でキンギョの養鯉業として120年の歴史を持つ中野養鯉場、4代目・中野重治さんにお話をうかがった。

〈聞き手〉編集長 上田さとる


 金色のキンギョ
中野さんは品種改良による新種キンギョの開発者として、テレビや雑誌によく登場されていますが、いつもみんなを「あっ!」といわせるキンギョの研究開発を考えていらっしゃるのですか。
中野 そうですな。最近では大学の先生からも問い合せがくるぐらいです。取材人のお目当てはこのキンギョ。金色のが “小金錦”、骨の見えてるのが “スケルトン”、それに模様が入っているのが “シルク桜”。
どこからこのようなキンギョを作ろうという発想が生まれたのですか。
中野 お客さんに「金魚やのになんで金色と違うんやろ」と聞かれて。「そやな。ほんなら作ってみよか」で試行錯誤ですわ。15年かかりました。
 地場産業を盛り上げたい!
キンギョの繁殖期は1年に1回。ということは1年に1度のチャンスに掛けての開発ですから、上手くいかなかった時など途中でやめようかとは思いませんでしたか。
中野 挫折しそうになったこともあったけど、やめへんかった。地場産業がもっと盛り上がるきっかけにもなるやろし、みんなを「あっ」と言わせるの、好きですからな。
金色のキンギョなどはどのように生まれたのですか。
中野 約30種類のニシキゴイとキンギョの和金の中から、受精が可能なもの同士を選び出す作業を、何度も繰り返して、上手く合致するものが現れたんですわ。コイとキンギョは遺伝子の型が違うため難しいとされていて、「突然変異で、ちょっとしかおれへんのと違うか」という人もおったけど、ほら、沢山いてまっしゃろ。
 生物学者も遺伝子レベルで研究
突然変異で数匹は今までにもあったかもしれませんが、1万匹の生産に成功している例はないよ うですね。遺伝子レベルの話になると、生物学者も興味津々の研究開発だったようですが…。
中野 魚のバイオテクノロジー研究に取り組んでいる信州大学の教授からこんな手紙をもらいました。『…例のキンギョは順調に育っていますでしょうか。前回頂いて来た個体を調べましたところ、予想通 り全個体が4倍体になっておりました。理論的には…』。色は思った通りに金色で生まれたのですけど、どうも全個体が遺伝的に等しいクローンになっているものと考えられるようですわ。今は小金錦同士の継続的な受精繁殖を理論的にもクリアするために大学で遺伝学的な研究をしてくれてはります。
もともとキンギョという名前はどういう意味からだったのでしょうね。
中野 金は貴重なという意味でしょうな。日本に入ってきて500年くらいですけど、その時は庶民の目には触れることのないくらいの珍重されたものやったんですわ。郡山に入ってきたのは柳澤の藩主さんが享保9年に甲府からこっちに来はった時、観賞用として持ってきはったんですな。それからですわ。
 藩士の副業で始まった
その後、藩主の奨励もあって、良種を得て、藩士の副業として養鯉業が盛んになったのですよね。明治維新後、藩士だった人たちの中には正業として営む人たちも多かったとか。
中野 そうですわ。ここは水利、水質に恵まれた土地でしたからね。
キンギョの生産地としても大和郡山市は国内最大ですよね。そこからまた新種が生まれて、これからの養鯉業にあかるい話題だったのではないですか。
中野 そうやと思います。しかしまだ気になるところはあるんですよ。尾の部分がキンギョというより、コイなんです。スケルトンやシルク桜については、尾が3つのキンギョの開発に成功したのですが、小金錦については次回の繁殖にトライするんです。これからもまだまだ新しいキンギョを考えていきますよ。
イキイキと語る中野さんのお年齢をうかがうと、70歳を超えていらっしゃるという。次に次にと、トライし、ステージをクリアしていく姿勢が、いつまでも若々しい秘訣かも知れないと感じた。

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