VOL.22

医療法人紀川医院理事長
県立三室病院名誉院長 紀川 彌衛 さん
地域に根ざした
保健・医療・福祉の
連携を

 三郷町内で開業医として活躍されている紀川彌衛先生。総合病院創設の立役者としての経歴や実績を持つ先生に地域医療の重要性をうかがった。

〈聞き手〉編集長 上田さとる


 生まれも育ちも三郷町
実はこの地域で「紀川先生に聴診器をあててもらうだけで、もう治ったようなもんや」とおっしゃるお年寄りのお話を聞きました。信頼関係というか、地域医療の本髄がその言葉に意味されているように思うのですが、先生は地域医療をどのようにお考えですか。
紀川 私は生まれも育ちも三郷町なんです。ですからこの地には愛着があるし、いろんなことをよく把握している。医療も同じことです。患者さんの、その人となりを知っていればこそできる診察や、治療がある。それが地域医療というものではないでしょうか。
ホームドクターとしての役割ですね。
 地域医療の本質
三室病院が創設されたのは昭和54年で、先生の在職期間は確か16年間でしたね。
紀川 家族みんなが同じ医者にかかっていると、過去の病気や、家族の病気との関連など、様々なデータがその病院に収められるのです。地域密着の街の病院と、大きな設備を完備した大病院と、それぞれに分担された役割があると思います。街の医者は地域密着型の細やかな部分を担い、診察、判断する、そして機能的にもその場で治療できない病気については、大きな総合病院にバトンタッチするというコンビネーションが今後も必要不可欠ではないでしょうか。
生まれた時から自分のカラダや家族のカラダを知ってくれている街のお医者さんがいる、やはり安心感がいいですね。先生は県立三室病院の初代院長でいらっしゃいましたね。
紀川 はい、三室病院創設時は大変でしたよ。大阪のベッドタウンとしても人口が増えてきている時で、西和地域にはなかった総合病院の開設が、計画の初期のころから希望されていたのです。ですが、創設された時は7つの診療科しか出来なかった。地域の人たちはココで診て貰いたいと思って来ているのに、診察する科がないので他に行ってくださいでは、総合病院の意味がないでしょう。私は科を増やすために毎年、県に、予算要望していましたね(笑)。
 街の医者になって初めて知る街の声
三室病院が創設されたのは昭和54年で、先生の在職期間は確か16年間でしたね。
紀川 そうです。退職したのが平成6年です。その頃には診療科を13にまで増やしていましたね。そして平成7年に紀川医院を開院したんです。街の医者になって初めて知ることも多かったですよ。
例えばどのようなことですか。
紀川 「大きい病院は待たされるので、行きたくない」と言う患者さんが多いということなどですかね。確かに総合病院では、半日近く待っていただく事も多々ありましたね。反対に総合病院だと、受診してから他の科に回してもらえるから手っ取り早いとか、安心という患者さんもいますね。街の声は様々です。
 患者のニーズに対応するために…
そうですね。人それぞれの考え方があるでしょうしね…。
紀川 そうです。ですから医療現場にしても、患者さんのニーズにいつでも対応できるように、各所でそれぞれの役割を持っていなければいけないとも思います。例えば、退院後、リハビリが必要とされる人たちがいます。器具を使うとなると、施設まで通 わなければいけない。疾患の時期というものもあって、急性期は総合病院での治療になりますが、慢性期だと、いわゆる中間施設が必要となってくるのです。
 私たちの地域にもぜひ必要!!
中間施設とは、生活復帰のためのリハビリ機関ですね。欧米ではこの中間施設が各所に設置されていますね。日本ではまだまだ需要の割には少なすぎると聞いています。
紀川 はい、そうなんです。中間というのは、治療する場所としての病院と、生活をする家庭の中間という意味です。中間施設はどちらかというと、保健や福祉の領域にも入ってきます。医療は単純に言えば治癒させることが目的ですが、福祉は治癒及び社会復帰などの様々な問題が発生してくるので難しいものです。私たちのこの地域にもぜひとも必要だと感じています。
保健も医療も福祉も、地域協力や理解があってこそしっかりした活動ができるものだと思います。今後も地域に根ざしたホームドクターとして、街の人たちの健康相談の場としてのご活躍をお願いいたします。

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