VOL.17

諸葛辺焼 都孔李窯 窯元 村上 明さん
独自の理論と計算で
作った陶芸の世界

 『信ずべし貴ぶべし』と聖徳太子が言った山、信貴山。その南東の山頂に位 置する朝護孫子寺は、毘沙門天が寅の年の、寅の月、寅の日、寅の時刻に現れたという伝えから、寅の日には、善男善女がお参りに集まってくる。今回お訪ねした『都孔李窯』は朝護孫子寺の南西、とっくり湖を見下ろすところにある窯。独特の作陶で遠方のファンも多い村上明さんをお訪ねした。

〈聞き手〉編集長 上田さとる


 北葛城郡から三郷町へ
諸葛辺焼、都孔李窯の名前の由来はどのようなことですか?
村上 もともと窯を開いたのは北葛城郡内。葛下川畔に紫青の葛花が咲くような場所が近くにあり、西には葛城山の麗姿があって、さまざまな葛、『諸葛』の周辺で窯の炎を上げたので、諸葛辺焼です。その後、縁あってこの地に移転、とっくり湖を見下ろすところでしたので『都孔李窯』 。呼び名は“ とっくり” でも“とくり”でもどちらでもいいです。漢字自体に意味がありますから。
北葛城の地からここ三郷町へこられたのは何かきっかけがあったのですか?
村上 ここに来て17年たちますが、最初は三郷町からの依頼がきっかけです。この街で文化の芽を育てようということでした。今も月に2度のサイクルで、三郷町コミュニティーセンターで教えています。私の成形法は変わっていて、師事したのは李朝の伝統を受け継ぐ李老でした。昔はよくあった2mから3mの大きな水がめや、すり鉢などを作る成形法を基本にしています。実はこの道への最初のきっかけは戦後の混乱の中、生活費を得るためでした。李老の元で大きな水がめなどを作っていたのです。
 作陶のきっかけは生活
趣味や芸術の世界としてではなく、生活の為の弟子入りだったのですね。生活の必需品作りという、陶器作りの中でも基本中の基本を経験されての作品ですから、手に馴染む、使いやすさを感じるのですね。

村上 その時“蹴ロクロ叩き成形法”を習得したのです。今では中国、いや世界でもめずらしいやり方だと思います。石川県能登町で作られた5mの“縄文の壷”の指導もしました。通 常の窯では焼けない大きさですからね。

“蹴ロクロ叩き”とはどのような成形方なのですか?
村上 足でロクロを蹴って回しながら、手で土を叩いていくのです。ですから、ある程度大きな壷も作ることができるのです。
 独自の成形法で独自の世界
成形などの技形法もですが、土や釉薬なども気を使われていると聞きましたが…。
村上 成形法はいろんな改良を加えた独自のやり方です。ヨリガセ法とでも言いましょうか、ヒモ状に土をねじるのです。私は昔から科学の電子的な勉強が好きで、真空管の構造をヒントに、棒状になっている土の分子構造を利用して、土をねじることにより、土の立ち上がりの力を強くすることを考えたのです。そのためには土の成り立ちから特色までいろいろ研究しました。釉薬もイネやワラ、竹などを燃やした灰や、ナスビの灰、マメ科や広い葉を持つ草の灰など、成分を検討しながら作っています。自然釉です。この中には不思議かもしれませんが金属系のものも混ざっているのです。ですから変化が楽しめます。草木灰を使った陶器は健康にもいいのです。
 自然が陶芸の材料
村上さんのお話しをうかがっていると、土に関しては分子などを調べていらして科学的、釉薬に関しては生物的に分析されてとのことで、今までの陶芸のイメージを超えています。
村上 動植物はすべて燃やすと釉薬になるので、土だけでなく、地球上の自然のものはすべて陶芸の材料になります。本当に自然はすばらしいですね。
名古屋や金沢、仙台方面などからも訪ねて来られるファンの方達も、その自然から生まれた作品の美しさに魅了されていらっしゃるのでしょう。毎年、4月第2の木曜日から日曜日に、この『都孔李窯』で個展を開催されていますね。今年も楽しみにしています。

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