VOL.16

劇団いかるが 団長 中野 政美さん
いかるがならではの
民話を通して我が街を発信

 『劇団いかるが』が設立されたのは、昨年の平成11年4月のこと。それから半年の11月には初公演を行なっている。編集長の上田さとるもその公演を拝見、劇団員の熱演に時間も忘れる程であったと話す。初公演から1年、新規団員も増え、現在25名の『劇団いかるが』をまとめる団長 中野政美さんにお話をうかがった。

〈聞き手〉編集長 上田さとる


“いかるが”を大いに意識した舞台づくり
11月26日(日)の第2回公演に向け、団員のみなさんもがんばっていらっしゃると思いますが、今回のお話の筋からうかがわせて下さい。
中野 歌人・在原業平を取り巻く、業平の妻や、業平に恋した白狐、そして業平の一部始終を見ている、“よのみの木”を題材にしたお話です。今回は一般 公募により選ばれた脚本で、“いかるが”の地にこだわったものです。
“いかるが”ならでは、“いかるが”の地でこその作品ですね。
中野 そうです。もともと、劇団の目的は地元の民話、“いかるが”で昔あった出来事、説話などを通 して、隣の街や、全国に“いかるが”を発信することです。幸いにも“いかるが”については、数々の歴史によって、誰もが知っている土地ですから、これからの劇団の活動の意味は大きいと思います。
 劇団維持の難しさも
芝居で“いかるが”を発信していくというのは、文化育成にも意味があると思います。この作品を演じていく中で難しく感じていらっしゃることはありますか。
中野 地元言葉の難しさがあります。私自身、九州、大阪で育っていますが、結婚や、移住などで近年住民になった劇団員も多く、“いかるが”で話されてきている言葉のイントネーションをつかむのが細かい部分で難しいのです。あとはずばり、資金です。舞台は優雅な時代のお話なので、衣装などにも気を使っています。
昨年の公演からちょうど1年、気持ちの上での落ち込みはありませんでしたか。
中野 劇団員は中学生以上で、仕事や家庭でそれぞれが忙しい中での練習です。正直、練習日に全員が集まるということはほとんどありません。公演が近付いている最近であっても、都合がうまくつかず、代役稽古の日が多いのです。実はその点が今の一番の悩みですね。しかし芝居を通 して、何かを発信したい、自分を磨きたい、というみんなの思いは落ち込むことがありません。日々の張り合いや、活動のひとつの意義として、公演以外で、施設慰問なども今後考えていこうと思っています。
 父親譲りの芝居好き
それぞれが忙しい中の練習ですから、御苦労が多いと思います。しかし、昨年の公演を見せていただいて、時間がたつのを忘れる程、集中していたことを覚えています。中野さんご自身はもともと、お芝居がお好きだったのですか。
中野 実は高校時代は演劇部でした。いわゆる学生演劇でね、それこそ施設への慰問もよく行きましたよ。もちろんあの頃は練習も毎日あってね、楽しかった。学生だったからこそ、できたことですが…。本当はもっと以前に舞台には立っているのです。
いつ、どのような舞台でしたか。
中野 父親が芝居好きで、村の人間を集めてよく芝居をやってました。昔はそれぞれの村に芝居小屋があったのです。祭りの時などに、村人が演じる大衆演劇ですが、そこで、子役で無理矢理(?!)出されましたね。カツラなんかもあったんですよ。ある程度大きくなって出なくなりましたけど、高校時代で演劇部ですからね、親の影響は凄いですね、根付いていたんです(笑)。
今後も“いかるが”ならではの舞台を楽しみにしています。
 

Vol.15へ
人物じゅずつなぎindex

Vol.17へ