VOL.4

清水山 吉田寺 住職 山中 眞悦さん
「ご縁」と感じる大切さ
ぽっくり往生の寺として、全国に知られる清水山吉田寺。この寺を開山した恵心僧都が、境内の栗樹から造ったとされる県下最大の阿弥陀如来(重要文化財)をご本尊とし、多くの信仰を集めている。 10月に晋山(住職になること)された山中 眞悦さんにお話をうかがった。

〈聞き手〉編集長 上田さとる


「いつかは、ぼんさんにならなあかんとは、
 思うてましたけど…」
昭和29年3月生まれの山中住職は、先代住職・山中長悦さんのひとり息子。妹二人の兄として、正月行事などを小さいころから手伝ってこられたとか。仏教の世界に入られるのは、生まれた時から決められていたのですね
山中「はい。ですが、いずれ、あとを継ぐということに抵抗がなかったわけではありません。ただ、父が、先々代の祖父存命中、法隆寺に務めながら、こちらの寺の手伝いもしておりましたので、私自身もサラリーマンをしながら手伝うものだとは思っていました」。
それでは、一度サラリーマンの世界にいらっしゃたんですか?
山中「いえ、ちょうど私たちの大学生のころはオイルショックのころで、文学の世界でも有吉佐和子さんの“恍惚の人”がベストセラーになった時代です。これからの日本はこういう時代を迎える、そうなった時を考える特集が、各マスコミでも取り上げられました。その中で、奈良に、お年寄りがやすらかに往生できるよう導く寺があると紹介されたんです。それがきっかけにたくさん、お参りいただくことになり、そうなると、“なるたけ、はよぉ、ぼんさんになってくれ”の状態です。ですから、大学卒業後、佛教大学大学院に進み、仏の道を学びました」。
 海外からも信仰される
海外からもお参りに来られ、ぽっくり寺と親しまれていますが、いつごろからそう呼ばれていたのでしょうか。
山中「正式には、いつからかは解りませんが、恵心僧都がこの寺を開基された時から、ぽっくり往生の、知る人ぞ知る隠れ寺でした。近隣の方たちからは”しみずさん“と呼ばれたりもしています。この付近からたくさんの清水が湧いていたんです」。
先程お目にかかってすぐ、ご住職はこれも仏さまが導いてくれはった“ご縁”ですからとおっしゃってくださいましたが、私自身も最近“ご縁”や“感謝”という言葉をよく使うようになりました。年齢のせいかなと思ったりもしますが…。
山中「“ご縁”と感じるか、感じないかは、人それぞれの思いの違いがあるので、いちがいに押し付けられませんが、大切なところは、今も昔も変わっていないと思います。それぞれの個人の経験が、大自然の恵みや、神仏からのご加護に導かれ、“感じる心”がいい年齢のとりかたではないかな?と思うんですけど」。
 友人の死が導いてくれた
ご住職自身もその“ご縁”を感じるご経験がたくさんおありになったのでしょうね。
山中「そうですね。ちょうどお寺にはいって10年目ごろに、普段、時々年賀状を交わす程度の、ご無沙汰する仲になっていた学生時代の友人から、久々に年賀状が届いたんです」。仏の道の方ですか?
仏の道の方ですか?
山中「いいえ、山口県の水産関係の仕事です。その時、たまたま、山口県のお寺の “行”に参加することもあり、会う約束をしていたんです。しかし、約束の日の前にその友人は亡くなってしまっていました。なにも知らない私は連絡が取れず、最後に友人の会社に連絡を入れて、その時知りました。ほかの友人たちも知らされてなく、結局、いちばん遠くに住んでいた私がいち早く駆け付けることになったのです。“行”に出掛けて行った時のことですので、黒い衣を身に付け、お参りさせていただいた時には、ご家族のみなさんも喜んでくださいました」。
偶然ですが、きっとそれが“ご縁”ですね。
山中「彼が亡くなった日には兵庫県で“行”を行なっていました。なんだか、“まともな、ぼんさんになれ”って友人が導いてくれたような気がして、その時をきっかけに、以前持っていた重たいものがなくなって、仏の道に精進する姿勢に改めてなれたんやと思います。私の役割は念仏をとなえていくことと、それぞれのご縁を深めていくことと思っています」。

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