VOL.3

富本憲吉 記念館 館長代理 山本 茂雄さん
富本芸術発祥の地で
富本夫妻を研究

生駒郡安堵町にある富本 憲吉 記念館は、近代陶芸の第一人者として知られる富本憲吉の死去後、彼と親交が深かった辻本 勇氏(安堵町出身)が彼の生家を修復し、開館したもの。  今回この記念館におじゃまして、富本憲吉夫妻について非常に詳しい、館長代理の山本茂雄さんにお話をうかがった。

〈聞き手〉編集長 上田さとる


 富本憲吉に出会う
この記念館の開館は何年頃ですか。
山本(敬称略)富本先生が亡くなって十年ほど後の昭和四十九年に開館しました。この記念館の館長・辻本勇は私の義兄で、彼は富本先生に大変可愛がられたようです。先生が六十歳、辻本が二十五歳位 の時から富本家に出入りするようになり、戦後の辻本の青春に大きな影響を与えたと聞いています。
私財で修復、運営されていると聞きましたが、何かきっかけがあったのでしょうか。
山本 富本先生が亡くなったときの遺言が、葬式をするな、墓もたてるなというものでした。それで奥様が困っていたところ、最後を看取った今村医師が「生まれた家での葬式やったらおこらへんわ」と提案、写 真とユリの花一対の型破りで簡素な葬儀を行ったんです。
人前葬儀ですね
山本 そうです。しかし、この葬式に辻本は感動したようです。床も落ちそうなくらいに古くなった母屋でしたが…。その後、この家が売りに出されると聞き、なんとか先生の生家を残したいと、いてもたってもいられなくなり辻本が購入したのです。
 尾竹紅吉を研究
それにしても、富本憲吉という人物について、よくご存じですね。
山本 私自身、この記念館の仕事をするまで、義兄が「富本先生、富本先生」とよく言っているなぁと思うくらいで、ほとんど先生については知りませんでした。実際どちらかというと先生の奥様であります、富本一枝さん・結婚前の尾竹紅吉に興味がありましたね。  この話をはじめると、また長くなるんですけど。彼女は明治のウーマン・リブの先駆けで、当時はスキャンダラスな女で世間を騒がせた人なのですよ。
「新しい女性」流行の最先端を行く尾竹紅吉(一枝夫人)と富本憲吉の接点は?
山本 当時、いろんな意味で注目を集めた雑誌「青鞜」の同人であった尾竹紅吉が取材でこの安堵に先生を訪ねたんです。先生は彼女にひとめぼれだったようです。
 センスが光った便りが資料に
本当にお詳しい…。
山本 一枝女史については当時の雑誌等を集め研究しています。富本先生については、知人たちに送った手紙やハガキがたくさん残っているのです。バーナード・リーチからも直接、先生が送った手紙をたくさん寄贈していただいたのですよ。その手紙でさまざまなことが解りました。
友人たちに送ったハガキの数々を見せていただきましたが、ユーモアとセンスのある構成で、そのハガキを残しておいた気持ちがわかります。
山本 ここを訪ねてくださる方たちの中には、富本先生と、その時代に先生と親交も厚く活躍した友人たちのことをよくご存じの方が多いのです。そんな方たちから教えていただいたり、知らないで、恥ずかしかったのでいろいろと調べてみたりの連続で、今に至っています。まだまだ調べてみたいことや、探している先生のコレクションはいっぱいあります。いろんな方とお話して富本夫妻について知ってもらいたいので、今後も変わらぬ 活動を続けていきます。
後 記
富本 憲吉 記念館を訪ねるたび、楽しいお話がうかがえるので、時間がたつのを忘れてしまいます。本当に研究熱心な山本さんに脱帽です。みなさんも訪れてみてください。山本さんが優しく出迎えてくれます。
生駒郡安堵町東安堵1442 TEL.0743・57・3300 10〜17時開館 火曜日休

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